浜名湖周遊ドライブ(2)〜直虎ゆかりの井伊谷を訪ねる〜

床面から天井に向かって延びているような鍾乳石は「石筍」、天井から釣り下がっているものは「つらら石」と呼ぶ 舘山寺温泉を発ち、県道320号線を北へ10kmほど車を走らせると、今回の旅のハイライトである奥浜名湖の井伊谷へと着く。
NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公・井伊直虎、徳川四天王の一人・井伊直政などを生んだ井伊氏は、平安時代から戦国時代にかけての約600年もの間、この井伊谷を本拠地としていた。一帯には井伊氏の菩提寺「龍潭寺」や、初代・共保が生まれたと伝わる「共保公出生の井戸」など井伊家ゆかりのスポットが点在していた。井伊谷の西、竜ヶ石山のふもとの「竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)」に足を延ばしたあとは往路を引き返し、江戸時代に宿場として栄えた気賀で「おんな城主 直虎 大河ドラマ館」や「気賀関所」を訪れた。
気賀からは浜名湖畔を走る国道362号線や301号線を進み、湖西市へ。「宇津山城跡」や「豊田佐吉記念館」、日本で唯一関所建物が現存する「新居関跡」などに立ち寄りながら、浜名湖をぐるりと巡り、浜松市街へと戻った。

ドライブルート

浜松市中心部−(中田島街道)−中田島―(中田島街道)−浜松市街−(国道152・257号線、県道305・48号線)−舘山寺温泉−(県道49・320号線)−井伊谷−(県道320号線)−気賀−(国道362号線、浜名湖レークサイドウェイ、国道301号線)−湖西市−(国道301・257号線)−浜松市中心部

全行程 約110km、今回 約70km

<赤いドライブルート付近のマーカーをクリックするとその項目にジャンプします>

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龍潭寺

大河ドラマの劇中では、幼きころの直虎が幼馴染の亀之丞(のちの井伊直親)や鶴丸(のちの小野政次)とともに手習いをしたり、次郎法師として出家をしたりと、物語の重要な舞台となっている「龍潭寺」。その歴史は古く、開創は奈良時代の天平4年(732)。はじめは地蔵寺といい、自浄院、龍泰寺と名を変えたのち、永禄3年(1560)に井伊家22代・直盛(直虎の父。桶狭間の戦いで戦死)の戒名に従って、龍潭寺に改称したといわれている。戦国時代には井伊家の菩提寺として深く信仰され、江戸時代に井伊家が彦根に移ったあとも両者のつながりは大切にされて、龍潭寺によって井伊氏ゆかりの旧跡の整備が行われる一方で、井伊家側も藩主の参詣や整備の援助などを行った。

  • 龍潭寺の本堂

    龍潭寺の本堂

小堀遠州によって作られた庭園。国の名勝指定を受けている

小堀遠州によって作られた庭園。国の名勝指定を受けている

境内の桜はちょうど満開で、本堂(延宝4年/1676年築)や開山堂(元禄15年/1702年築)など歴史ある建物群で構成された伽藍を美しく華やかに彩っていた。見どころは本堂裏手の庭園。江戸時代初期に当代一の文化人と謳われた小堀遠州による作庭で、数多くの石組みと築山全体で鶴亀が表現されているという。多くの人たちが縁側に座り、その見事な景色を堪能していた。また、境内には井伊家代々の当主の墓所や家臣の墓所があり、家臣の墓には奥山家、中野家、新野左馬助、小野玄蕃、鈴木重時、近藤康用、菅沼家など大河ドラマでその名を見た人たちが祀られていた。
/拝観料 500円

  • 朱塗りの楼閣・開山堂と満開の桜

    朱塗りの楼閣・開山堂と満開の桜

  • 本堂の廊下。うぐいす張りの仕掛けが施され、歩くと軋む音が鳴る

    本堂の廊下。うぐいす張りの仕掛けが施され、歩くと軋む音が鳴る

  • 井伊氏歴代墓所。石塔・墓石の形状から江戸時代初期〜明治時代にかけて整備されたことがわかっている

    井伊氏歴代墓所。石塔・墓石の形状から江戸時代初期〜明治時代に
    かけて整備されたことがわかっている

共保公出生の井戸

白壁の内側には、堅牢な石組みの井戸が現存している

白壁の内側には、堅牢な石組みの井戸が現存している

龍潭寺から歩いて5分ほど、のどかな田園地帯の一画に白壁で囲まれた「共保公出生の井戸」があった。
共保は井伊家初代当主で、生まれは寛弘7年(1010)。生後間もない赤子のころ、八幡宮の御手洗の井戸の傍らに捨てられていたのを神主に拾われて育てられたことから、「井戸から生まれた」と伝承されるように。その井戸のそばに橘の木が生えていたため、井伊氏は「橘」を家紋とし、「井」を旗幕の紋としたといわれる。 現在残っている井戸は大きな石組みの井戸で、その隣には「井伊氏祖備中守藤原共保出生之井」の碑が建っていた。

  • 田園地帯の中にある共保公出生の井戸

    田園地帯の中にある共保公出生の井戸

井伊谷城跡

「井伊谷城」は井伊氏が築いた山城で、標高約115mの山の頂にその跡が残っている。
山頂までの道は舗装されているものの、かなりの急こう配。途中、何度か足を止めて休みながら登っていった。城跡には、曲輪を囲む土塁のほか、建造物は何も残っていないが、平らに均された山頂南側からは井伊谷の美しい風景を見渡すことができた。井伊家代々の当主も眺めたであろうこの景色を見るだけでも、ここまで登ってくる価値は十分にある。

  • 国道320号線からの眺め。正面の山の頂に井伊谷城跡が残る。手前の四角い建物が「地域遺産センター」で、車はその駐車場に停める

    国道320号線からの眺め。正面の山の頂に井伊谷城跡が残る。手前の
    四角い建物が「地域遺産センター」で、車はその駐車場に停める

  • 城跡への入口。この案内板から急な登りが始まる

    城跡への入口。この案内板から急な登りが始まる

  • 道は整備されているが、かなりの急こう配なのでキツい。休み休み登っていこう

    道は整備されているが、かなりの急こう配なのでキツい。
    休み休み登っていこう

  • 山頂南側は平らに均され、井伊谷の景色を一望できる

    山頂南側は平らに均され、井伊谷の景色を一望できる

地域遺産センターに立ち寄ったら、ロケ中の「出世大名家康くん」と「出世法師直虎ちゃん」にばったり遭遇

地域遺産センターに立ち寄ったら、ロケ中の「出世大名家康くん」と
「出世法師直虎ちゃん」にばったり遭遇

なお、駐車場を利用させてもらった山麓の「地域遺産センター」では、大河ドラマの放送にあわせて、戦国時代の井伊氏や井伊谷に関する特別展「戦国の井伊谷」を開催していた(平成30年1月14日まで。入館無料)。あわせて立ち寄ってみるといいだろう。

竜ヶ岩洞

竜ヶ岩洞の入口

竜ヶ岩洞の入口

井伊谷から西へ3kmほど車を走らせると「竜ヶ岩洞」に着く。竜ヶ岩洞は東海地方最大規模の鍾乳洞で、竜ヶ石山南麓の入口から総延長約1,000mにわたって長大な地下空間が確認されており、そのうちの400mが観光用として一般公開されている。
地下に入っていくと、「ヘチマフローストーン」「マリア観音」「雲上界」「新雪の間」などユニークなネーミングがされた、さまざまな形状の鍾乳石が迎えてくれる。今もその表面に地下水が流れ、きれいな乳白色をした鍾乳石は、ライトアップされることで艶やかに輝き、神秘的な雰囲気を漂わせていた。「黄金の大滝」は、約30m上の天井から水が勢いよく流れ落ちる地底の滝で、その規模は日本最大級だという。「シャンデリアの間」では、頭上の壁一面に鍾乳石がシャンデリアのように垂れ下がり、幻想的な空間を形づくっていた。ちなみに、鍾乳石は1cm成長するのに100年もかかるそうで、眼前の空間ができるまでにいったいどれだけの歳月がかかったのか、その悠久の時に思いを馳せると目のくらむような思いがした。

  • 床面から天井に向かって延びているような鍾乳石は「石筍」、天井から釣り下がっているものは「つらら石」と呼ぶ

    床面から天井に向かって延びているような鍾乳石は「石筍」、天井から釣り下がっているものは「つらら石」と呼ぶ

  • 「喜びの窓」では、長年行き止まりと思われていた狭い通路を抜けたときの様子をパネルで再現

    「喜びの窓」では、長年行き止まりと思われていた
    狭い通路を抜けたときの様子をパネルで再現

  • 「ワニの岩」。たしかにそっくり

    「ワニの岩」。たしかにそっくり

  • 「黄金の大滝」。約30m頭上から絶え間なく水が流れ落ちている

    「黄金の大滝」。約30m頭上から絶え間なく
    水が流れ落ちている

  • ライトアップされた鍾乳石は艶めかしく輝き、その陰影が神秘的でもあり、不気味でもある

    ライトアップされた鍾乳石は艶めかしく輝き、その陰影が神秘的でもあり、不気味でもある

  • 荘厳さえ感じさせる「シャンデリアの間」

    荘厳さえ感じさせる「シャンデリアの間」

洞窟を抜けた先には、竜ヶ岩洞開拓の歴史や鍾乳洞の成り立ちについて解説する「洞窟資料館」を併設

洞窟を抜けた先には、竜ヶ岩洞開拓の歴史や鍾乳洞の
成り立ちについて解説する「洞窟資料館」を併設

大自然が創り出した造形美の数々に魅了され、足を止めてはカメラを構えているうちにあっという間に時間が過ぎてしまったのだろう。見学所要時間約30分のところ、実際にはその倍以上の時間がかかってしまった。
/入洞料 1,000円

気賀関所

「気賀四ツ角」交差点近くに立つ、気賀関跡を示す石碑

「気賀四ツ角」交差点近くに立つ、気賀関跡を示す石碑

江戸時代に東海道が整備されると、浜名湖の北側を通って東海道見附宿と御油宿を結ぶ本坂道も脇街道として重視されるようになり、慶長6年(1601)気賀宿の東に「気賀関所」が設けられた。以後明治に入るまで、箱根関所、今切(新居)関所とともに東海道三大関所といわれ、人や物の往来を監視した。なお、本坂道は別名「姫街道」とも呼ばれているが、それは今切(新居)の難所である浜名湖入口の渡しを避けた公家や武家の奥方・姫君・女中衆が、この道をよく利用したことに由来する。
実際に関所があった場所は、国道362号線や県道261号線、同49号線が合流する「気賀四ツ角」交差点付近で、関所跡を示す石碑が残っていた。現在、北区役所のそばに建つ冠木門、本番所、向番所、望楼、制札場などの建物群は平成元年(1989)に復元されたもので、等身大の人形などを配置して往時の雰囲気を再現している。
/入館料 150円(大河ドラマ館開催期間中は無料)

  • 気賀関所の入口門

    気賀関所の入口門

  • 本番所。建物内には等身大の人形を配置して、当時の様子を再現している

    本番所。建物内には等身大の人形を配置して、当時の様子を再現している

おんな城主直虎 大河ドラマ館

大河ドラマ館の入口

大河ドラマ館の入口

「おんな城主直虎 大河ドラマ館」は、大河ドラマ放送中の平成29年(2017)1月から翌30年(2018)1月14日まで、気賀関所そばの「みをつくし文化センター」内で開催されている。館内は5つのスペースで構成され、出演者の衣装の展示、ロケ地や直虎ゆかりの地の紹介、メイキング映像などを楽しむことができる。中でも、最新のヘッドセットを使ったVR(ヴァーチャルリアリティ)体験は、頭の動きにあわせて移動する全方位の映像によって、まるで自分もスタジオセット内に入り込んだような気分が味わえて面白かった。
/入館料 600円

  • 共保公出生の井戸と橘の木のセット。出演者のパネルと一緒に記念撮影できる

    共保公出生の井戸と橘の木のセット。出演者のパネルと一緒に記念撮影できる

宇津山城跡

浜名湖の北西、湖に突き出した岬(正太寺鼻)に宇津山があり、その山頂に築かれたのが「宇津山城」である。永正3年(1506)から大永7年(1527)ごろにかけて今川氏によって築かれたこの城は、三河国と遠江国の国境に近かったため、今川方と徳川方によって攻防戦が繰り広げられたり、徳川方の対武田軍の防衛拠点のひとつとして、戦略的に重要な城とされてきた。現在は、山上に石塁や曲輪の跡を見ることができるが、大部分は藪に覆われてしまい、観光的な見どころは少ない。
山頂には正太寺の霊園があるため、車で登っていくこともできるが、春のこの時期は寺の裏から歩いて登っていくのがおすすめ。弘法大師八十八ヶ所巡りを模したミニ霊場「宇津山公園八十八ヶ所霊場」として石仏などが点在する山の斜面にはミヤマツツジやソメイヨシノなどが咲き誇り、眼下に広がる浜名湖と相まって、風光明媚な景観を楽しませてくれる。

  • 宇津山城跡へは、正太寺の脇から「宇津山公園八十八ヶ所霊場」として整備された裏山を登っていく

    宇津山城跡へは、正太寺の脇から「宇津山公園八十八ヶ所霊場」
    として整備された裏山を登っていく

  • 正太寺の裏山には約600株ものミヤマツツジが咲き誇る

    正太寺の裏山には約600株ものミヤマツツジが咲き誇る

  • 満開の花々と浜名湖が織りなす絶景

    満開の花々と浜名湖が織りなす絶景

  • 宇津山の山上には、曲輪跡を取り囲むようにぐるりと石塁が残っていた

    宇津山の山上には、曲輪跡を取り囲むように
    ぐるりと石塁が残っていた

豊田佐吉記念館

豊田佐吉は、豊田自動織機の創業者であり(大正15年/1926年創業)、同社の自動車部から分離してトヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)を設立した豊田喜一郎の父親でもある。佐吉は慶応3年(1867)に遠江国山口村(現湖西市山口)に生まれた。その生家跡周辺に整備されたのが「豊田佐吉記念館」である。
正面の門をくぐってすぐのところに建つ「展示室」には、佐吉が発明した日本初の動力織機や自動織機、特許証、彼の生涯を紹介するパネルなどを展示。日本の発展に寄与した佐吉の生い立ちや業績をわかりやすく伝えてくれる。敷地は木々が生い茂る裏山まで広がっており、父親に隠れて研究をした「納屋」や山の水を生活用水として使うために作った「井戸(水道)」などが建っていた。麓には、佐吉が家族と暮らした「豊田佐吉生家」も復元されて残っていた。
敷地内を散策していると、作業服に身を包んだ若者たちの行列とすれ違った。聞けば、豊田自動織機の新入社員で、研修のために上司に引率されてやってきたのだという。彼らはここで創業者の志やその業績に触れて、何を思うのだろうか。
/入館無料

  • 豊田佐吉記念館の入口

    豊田佐吉記念館の入口

  • 佐吉の胸像

    佐吉の胸像

  • 佐吉が発明した動力織機や自動織機

    佐吉が発明した動力織機や自動織機

  • 平成2年(1990)に復元された豊田佐吉生家。建物内では民具などを展示

    平成2年(1990)に復元された豊田佐吉生家。
    建物内では民具などを展示

新居関跡

安政2年(1855)に建てられた面番所。白州に面した正面の幅は11間(約20m)もある

安政2年(1855)に建てられた面番所。白州に面した正面の幅は11間(約20m)もある

浜名湖の西側を南下してきた国道301号線は「泉町」交差点で進路を東へと変える。交差点を曲がると、正面左手に大きな黒い門が見え、その先の広々とした敷地には歴史を感じさせる古い建物が建っていた。全国で唯一現存する関所建物「新居関跡」である。
新居関所は、江戸時代には今切関所と呼ばれ、慶長5年(1600)に五街道の整備と同時に設置された。創設当初は浜名湖の今切口(浜名湖が海とつながる開口部)の北側の砂嘴部(鳥のくちばしのように海に向かって細長く突きだした砂れきの堆積地形)に設けられたが、地震や津波など度重なる災害によって北西へと2度の移転を余儀なくされ、宝永5年(1708)に新居宿の宿場とともに現在の場所に移ってきた。その後、嘉永7年(1854)の大地震で関所は倒壊するが、翌安政2年(1855)から5年がかりで再建されて、その建物が現在まで保存されている。
もっとも大きな面番所は、かつて関所役人が旅人を取り調べた中心的な建物で、等身大の人形や武具などを配置して当時の雰囲気を再現。また、江戸時代の関所構内には今切の渡しを行き来する船が着く渡船場が設けられていたが、敷地の一画には渡船場の石組みが再現されていた。

  • 面番所内には、関所役人の等身大の人形や武具などを配置

    面番所内には、関所役人の等身大の人形や武具などを配置

  • 江戸時代の新居関所の様子を描いた画。敷地内の渡船場から大名一行が上陸している

    江戸時代の新居関所の様子を描いた画。
    敷地内の渡船場から大名一行が上陸している

  • 新居関所史料館では、関所の遺品や資料、新居宿や江戸時代の旅に関する資料などを展示している

    新居関所史料館では、関所の遺品や資料、新居宿や
    江戸時代の旅に関する資料などを展示している

  • 新居宿で最大規模の旅籠だった「紀伊国屋」。廃業後、建物の老朽化が進んでいたが、平成13年(2001)に復元整備されて再生した

    新居宿で最大規模の旅籠だった「紀伊国屋」。
    廃業後、建物の老朽化が進んでいたが、
    平成13年(2001)に復元整備されて再生した

国道301号線を西へ数分歩いたところには、江戸時代に25軒前後あった新居宿の旅籠の中で最大規模を誇った「旅籠紀伊国屋」が復元されて、街道宿場文化を伝える資料館として公開されていた。資料によれば、紀伊国屋の名物として鰻の蒲焼きが人気だったそうで、旅人が鰻を楽しみに浜名湖を訪れるのは今も昔も変わらないのだろう。

  • 江戸時代の旅のガイドブック「旅行用心集」などを展示

    江戸時代の旅のガイドブック「旅行用心集」などを展示

  • 旅籠で提供していた料理を再現。鰻の蒲焼きは紀伊国屋の名物だった

    旅籠で提供していた料理を再現。鰻の蒲焼きは紀伊国屋の名物だった

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記事・写真:谷山宏典 取材:2017年4月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。